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2009年9月2日水曜日

Brother cone & Sister cone mini


ブラザー・コーン&シスター・コーンのミニサイズ© 1993の作品です。
前出のアートツリー展に出品し、オークション形式で
売上金は寄付されました。

2009年8月5日水曜日

締め切り時間に間に合うか!


「ブラザーコーン&シスターコーン」
シリーズで沢山の家族が生まれました。
最初2体が出来た頃
いとうは撮影の小物探しで
原宿、渋谷、銀座……毎日のように
歩き回っていたので、素材マップが
頭の中にあったのかも。

キャリーを購入し、車に取り付け
搬入に向かいます。
向かう場所は、都内を超えて府中の倉庫
近づいて来ましたよ。
後少しで、到着のはず、でも何だか
激しい渋滞、「どーして?」
車の脇を作品を手にし
抱えた人が走ります。
何人もあせった顔して走ります。
私たちも走りたい。

やっとやっと、動き出す
渋滞原因は競馬場。
ここは競馬場に続く道
競馬が終わって観客がドット帰るのと
一緒の時刻に鉢合わせ。

締め切り時間に間に合わなかったら
どーしよう。

搬入場所に、時間ぎりぎり着いたけど

搬入手続きの人がいっぱいで
受付が追いつかない。
主催者も競馬渋滞は予想外
締め切り時間を延長してくれたので
書類も書けて、無事搬入。
あー良かった。

2009年8月3日月曜日

レジンとコーン


左がグラフィック展の出品作品。
「スロー・ガラス」
レジンキャスト(注型剤)で平面化。
スポットライトの光で
太陽電池を使いLEDが点滅します。
プラスチックから金属に向かう過渡期にあり、
平面でも重量が15kg位あって
油断して持ち上げると、腰を痛める事に!
この素材は、時間とともに元の液体へと
戻ろうとしているかのように
べったべたに成って困っています。

右がオブジェ展の出品作品。
「ブラザーコーン&シスターコーン」
いとうのスタイリストのキャリアを
生かした作品です。
身の回りの物を利用して
擬人化しています。
みんなにカラーコーンの入手方法を
度々聞かれましたが、
道路で見かけるコーンは
高さ75cmのものが多く
作品のコーンはミディアム・サイズで
高さが90cmあり
工事用品の会社から購入。

2009年8月2日日曜日

さまよえる制作人


ザワザワって通路で話し声が聞こえた、
インターフォンが鳴り、
ドアが「どんドンどん」とたたかれ、
「あんたんち、シンナーでもやってんの!」
と何人かで、やってきた。

このアパートに引っ越してすぐの事、
近所の方たちと交流がなく、
知らない人ばかりだったので、
「若いあんちゃんとねえちゃんが
シンナー遊びをしていると思った。」
・・・との事です。
臭いを出して「ごめんなさい。」

「外で作業しよう。」近くの公園で始めた日
「オイ!お前たち、何やってんだ!」
と遠くで声がする。
「オイ!、オマエたちって、」私たち?
いきなり、オマエって、なんだ!何!
キョロリ、キョロ、キョロ
周りを見ても私たちしか、いない

こちらにどんどん近づいて来た、
飲み会帰りのアパートの自治会長ご一行だった。
「なんだ! 君たちか。」
その中の一人に自治会の交通整理で
一緒になった方がいて、
「怪しいヤツ、
不良グループかと思ったよ。」
と言われたが、いきなり
「オイ! お前たち。」には傷付いた。

台車に道具と素材を乗せて
あちらの公園、こちらの公園、
「さまよえる制作人」

人の通らない時間帯にと遅くなり、
携帯ライトを手作りし、(写真の蛍光灯)
ピラミッドのある公園に落ち着いた。

それにしても夜での公園制作は、
虫との戦いだ。
公園を使用してごめんなさい。

2009年8月1日土曜日

Shocking pink


前出の作品を含めて、1984年頃は
アクリル樹脂・シリコン樹脂を使った
作品がいくつかあり
ベースに蛍光ピンクを使って
ポップなサイバーパンクを考えていたかも…

樹脂を混合して硬化させるのに
溶剤のシンナー臭がきつくて
近所から苦情が嵐のように押し寄せて
シンナー遊びと勘違いされたりで

結果、深夜の公園で制作していたけど
温度変化や湿度の関係で
硬化が不十分だったりで
続かなかった…気がする。

1984年頃のメインの制作場所・ピラミッド公園

2009年7月31日金曜日

始まりの形

1983年ごろ、
イラストレーターの湯村輝彦さんの事務所で
求人があり、課題提出のテーマは「家族」や
「マイホーム」でした。

「Family man simulator」
(マイホーム・シミュレーター)は
そんな経緯をたどり

当時、出始めのLEDグッズを使い
「音に反応」して点滅する仕掛けから
作品に話しかければ
観客参加型の「家族の団欒」!?
とばかりに作りました。

湯村輝彦さんの事務所に行く事は適わず
その後フリーになり、
作品制作へと没頭しました。

・・・・・・・・・・・・・・・

時間はさらに遡りますが
8歳の時に母と死別しており
一年を待たずに、父は再婚しました。

父の再婚相手の振る舞いで
残念ながら、
私の「家族」の幸福な記憶は
7歳までしかありません。

欠落した家族のありようを
再び、形成する事は
結婚後ずいぶん時間が必要でした。

今でも、
家族やマイホームを表現するのは
苦手なジャンルです。